泰国西松建設の歴史

タイにおける西松建設の歴史は1962年に遡ります。この年、バンコク郊外を起点とする「フレンドシップ・ハイウェイ」の入札に参加するため、ジョイントベンチャーを設立しました。同プロジェクトは米国からの財政支援を受けて運営されていたものです。

当時、ジョイントベンチャーの設立には、首相の承認が必要であったため、元陸軍元帥である当時のサリット・タナラット首相に直接アプローチしなければなりませんでした。

当初は、首相にアプローチするコネクションがなかったため、前途多難な始まりでしたが、幸いにも、ポンパオ・ウィスーティパン運輸局本部長(当時)と後宮参事官(当時、後に駐タイ大使に就任)の支援を賜り、1962年9月、当時の社長であった西松三吉が首相官邸でサリット首相と面談しました。面談の場で、サリット首相はジョイントベンチャー設立の重要性を十分に理解され、「御社が十分な能力と経験を有していることは確認できましたので、ぜひタイに投資してください。新会社設立を許可しましょう。」と仰っていただきました。

また、サリット首相より、新会社の社名はタイと日本の友好関係を思い起こさせる名称としてはどうかとのご提案をいただき、新会社を「泰日建設(Thai Japan Construction Co., Ltd.)」と名付けました。この社名は1984年に現在の社名「Thai Nishimatsu Construction Co., Ltd.」に変更するまで20年以上使用していました。

サリット首相との面談からちょうど1年後となる1963年、新会社設立が日本政府に認可され、タイ企業として正式に登記されました。

泰国西松建設の現在

現在、泰国西松建設はタイの法人として堅固な基盤を有しています。1963年に日本のゼネコンとしては初めてタイへ進出した当初は、高速道路建設等の公共事業が中心でしたが、現在は工場や高層ビル(設計・施工)といった民間プロジェクトに注力しています。

タイでの事業については、1964年のサラブリー・ナコンパトム間から始まり、現在に至るまで、サラブリー・ロッブリー間、ロイエット・ヤソートーン間、ウタイタニー・パホンホーティン間、シーサケート・カンタララック間の合計約250kmの工事を含め、数多くの道路建設に携わってきました。

60年代後半には、G.S.スチール社を第一号として、日系企業によるタイ進出が始まり、三菱商事様の化学プラントを含め、建物・工場建設を多数受注しました。

1997年には親会社である西松建設がMRTAプロジェクトの地下構造工事を受注し、泰国西松建設が下請業者として2000年のMRTタイ文化センター駅の内装工事に参加しました。

現在進行中のプロジェクトは製造工場建設と高層ビル建設が中心で、日系だけでなく、外資企業からも注文いただいています。また、近年外資誘致を進めているミャンマーとラオスにおいて子会社を設立しています。